ただ生きている
この話を聴いて
私は衝撃を受けた。
…というより心が救われたのかもしれません。
目的志向がいつもある私は
いつもそこに意味を求める「心のクセ」があるのです。
だから「ただ生きている」は衝撃だった。
そして「お金」と向き合っているいま。
私はきっと心のどこかで恐れています。
その恐れを解放してくれた言葉でした。
私は衝撃を受けた。
…というより心が救われたのかもしれません。
目的志向がいつもある私は
いつもそこに意味を求める「心のクセ」があるのです。
だから「ただ生きている」は衝撃だった。
そして「お金」と向き合っているいま。
私はきっと心のどこかで恐れています。
その恐れを解放してくれた言葉でした。
ただ生きている
「ただ生きている」そう私はかよさんに伝えました。1/26私はフィリピンに旅立ち私のビジネスパートナーのかよさんはミャンマーへ旅立った。たまたまの偶然でその日に2人は旅立った。昨日の夜、お互いの旅の中での出会いについて話していた。かよさんは元々知っているご年配の方に会いに行きミャンマーに至った経過を聞きシェアしてくれました。私はその話を聞いてシキホール島で出会った1人のご年配の方を思い出す。その方は70台後半かなぁ。白いお髭を蓄えた日本人。シキホール島に住んでいるという。日本ではお花屋さんをやっていたそうだ。子供たちが継ぎたくないということでお店を閉め色々あって知り合いのいるマニラへ。マニラにいるとお金を遣ってしまうから…とセブに移る。セブもまたお金を遣う場所がある。お金を遣わない環境へ。
そうして移り住んだシキホール島。そこには自然以外、何もない。そんな方がいたとかよさんに話すと「その人はそこで何をしてるの?」と質問が来た。「ただ生きている」
そう私は答えた。そう。その方はただ生きていた。そんな気がした。何かしなくても生きていていい。
ただ生きている。
どこに身を置くか。
それは選択できる。
ただ生きていればいい。
それで充分。
何もしなくてもいい。
ただ生きている。
そんな生き方がそこにあった。
ただ生きている。
それだけでいい。
そんな出会いがフィリピンでありました。色んな人を知り色んな考えを知り自分の見地を広げることで選択の幅は広がっていく。私の出会いをみなさんにシェアします。
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